名前ついでに語彙の話に関しては初投稿です

こ  ん  に  ち  は

 

μy44kiです。今度からはμyと言います。読み仮名は『マイ』です。もしかしたら偶にmyになっているかもしれませんが、そこのところは臨機応変に対応してくれるとありがたいです。

 

今回は私の名前、『μy44ki』についで解説しようと思います。ついでになんとなく語彙について思ったことを書きます。誤字脱字文脈的におかしいなどという指摘はコメントで指摘してくださればありがたいです。

 

なぜミューマイとは呼ばないのかと言いますと、元々イニシャル文字のmとyだったのですが、mを早く書きますと、μになりませんか?

 

もし私だけならそれで終わりなのですが、とりあえずそういう経緯でμyとなっております。

 

そして44kiですけど、私の名前は、よしき、と言います。あとはおわかりになると思います(笑)

 

ちょっとしたお話なんですけど、このニックネームのμy44kiですけど、こうブログに書く際にはμをそのまま書きます。しかし、アカウントを作る際にはmy44kiとつけています。

 

正直な話、ギリシャ文字であるμはあらゆる場面で折り合いが悪いんですよね...

 

まあ私も男の子なので、こういう独自性なものは好きなので好き好んで使っているっていう中身の無いお話です。

 

男の子なのにそういうのが興味ない私は男の子じゃなかった?と思った方は安心してください。それはあなたの個性です。

 

ニックネームなどの名前をつけるセンスについて

ところで皆さんはどのようにしてニックネームなどの名前をつけていますか?

 

こう突然切り出したのも理由がありまして、私自身名前を決めるの苦手なんですよね。

 

実は自分のニックネーム自体中学の頃から酷く悩んでいました。所謂厨二病などと呼ばれる時代には黒いノートに絵を書いてかっこいい名前をつけて、そして一生の黒歴史と残ってしまうあれですね。

 

そういう歴史は痛い歴史だ、と突っぱねてしまう人が多いですが、私はその逆ですね。正直羨ましいです。

 

そういう時代私はどうしたらかっこいい名前をつけられるのだろう?どうやったら皆に納得されるような名前がつけられるのだろう?と多くの時間考えました。

 

しかし時間だけが経つだけで結局、何一つとしてこれだ!と思えるような名前って付けられなかったんですよね。

 

実はこのニックネーム自体ここ数年やっとの思いで思いついたのでまあ何と言いますかね。大切なものの一つとして使っています。

 

閑話休題。男子たるもの誰しも日本の漫画という文化には触れたことがあると思います。その度に必ずと言っていいほど出会うものがあります。そう技名などの名前です。

 

そのような名を見たとき皆さんはどう感じたでしょうか?

 

私の多くの記憶において、名に違和感を覚えたことが無く、またその名を見るだけでだいたいどのようなことを記してあるかわかるようなことが多かったです。

 

名前は体を表すという諺があります。漫画などの作品においてその傾向は大いにあると思います。そしてその名前を使ってチャンバラごっこ、また捩って自分流奥義などを作って友達に言ってやったなどの記憶があるのではないでしょうか。

 

そしてその通過儀礼を行ったものが次に行う行為が自分で名前を作り出すことだと思います。そうやって所謂厨二病時代の開幕となるのでしょう。

 

私はそういうことができませんでした。名前をつけるときに時間だけが過ぎ、結局他人の作った名前を引用して、拝借して、使いまわしていました。結局真似事しかしてこなかったわけです。

 

名前を創っていた今も仲のいい友達がいますが、中学時代は彼は凄い人だと思い続けていた思い出があります。

 

はっきり言います。名前をつけられる人はセンスがあると思います。

 

高校時代本当にどうやったら名前をつけられるのだろう、どうやったらできるのだろうと酷く考えた時期がありました。

 

結局出た結論としては、こういうセンスのある人達は何も考えてないんですよね。その時その場でパッと出たものをそのまま使っているんですよね。

 

当然人によっては名前の意味を含めて考える熟考タイプもいますが、そういう人は稀です。まずそういう人達は持ってる語彙数が尋常じゃないんだと思います。それこそ毎日漢字字典で漢字を調べてるある種の変態などと呼ばれる人達です。

 

こういう人達が稀なのはこれをご覧になっている皆様がよくご存知ではないのでしょうか。

 

一般に名前をつけている人達はもう感覚で決めてるんですよね。

 

私は物事をとりあえず考える癖があります。こういうタイプは正直名前を創るようなことはできません。しかし毎日漢字字典を持ち歩く変態でも無ければその限りじゃありませんけど。

 

少なくとも私がそうでした。

 

正直名前をつけられる人をどう思いますか?私は羨ましい限りこの上ないです。

 

私も名前をつけるセンスがあれば今頃小説漫画でも執筆してたことでしょう。私が多くの時間そういうサブカルチャーを触れているにもかかわらず創作活動してない理由の多くは名前がつけられなかったことに他なりません。

 

この対処法として漢字字典を持ち歩く変態になることを提示しました。しかしながら私自身そういうのを見るのも苦手なので結局ある種諦めの思いになりつつあります。私はとことんついてない男です。

 

こういうブログを書く際にもやはりそのような知識は大変重要な役割を持ちうると言うのにですよ。人に気持ちを発信するということはそれだけ難しいってことです。

 

語彙と情報の伝達

この記事を書きながらポンポンいろんなこと思いつくんですよね。私の特技です。

 

ブログでこんな長々書いてもいやになってブラウザバックしちゃうのが目に見えてわかります。やっぱり向いてないのかもしれませんね。とりあえず書きます。

 

お話が変わりまして、語彙力のお話をしてきたわけですが、その話の最後に人に情報を伝える話が出てきました。

 

では情報伝えるのと語彙という関係はどのような関係に位置するんでしょうか。ここからは持論になります。

 

一重に情報と言ってもそのものだけでは意味がありません。結局情報は人に伝えてこそ価値があるものに思います。よく独占しちゃう人がいますが、結局伝えない情報は例えるならば鑑定されていないダイヤモンドみたいなものです。それ自身、鑑定されていないのでただの石ころと同じ、という意味合いです。

 

ですが情報を伝えるにはそれを媒介する何かが必要です。例えばテレビなんかがそうじゃないでしょうか。4Kテレビや8Kテレビもその情報を伝えなければブラウン管テレビと一緒です。情報を受け取ってそれを発信して、4Kテレビ、8Kテレビは凄いのです。

 

しかしその情報はテレビ自身が持っているわけではなく、それを発信しているものから情報を媒介するものを経由して、発信しているんですよね。この媒介するものがコードに当たるのですが、このコードがもし無ければ上記のお話になります。

 

話が反れましたね。結局語彙は我々が持っている脳の情報を伝える媒介物となります。ただこの媒介物はさっきのようにすみわけされているわけではなく情報と一体化しているのでこれがややこしいんですよね。人間が所謂脳内ネットワークのようなものであれば語彙なんて覚える必要は無いんですが、人間ですから語彙は必要です。

 

人は第一印象は大事ですが、次のステップとなる第二第三印象としては言葉選びは別として、やはり語彙の数である程度決まってきます。例えばの話ですが同じ能力で同じ人柄で顔そっくりさんの双子がいるとして語彙の数が多い少ないと言えばどちらを取るかと言われれば当然ながらいいスペックを取りますよね。

 

ここでのスペックは語彙数を指します。

 

あらゆる言葉を駆使して叱りつける上司と、同じ言葉でしか叱らない上司、印象としてどちらが尊敬できるかなんて言われなくてもわかりますよね。(※)

 

ですから語彙というものは大変偉大なんですよね。

 

そして語彙はあらゆる場面で使います。会話で、会議で、論文などの書籍などでも。なぜなら我々は社会に生きているからです。個人に生きていたらそんな必要は無いんですね。

 

社会に生きていることは人と関わりながら支えながら生きるということですから、我々は支えるために伝え、関わるために伝えるために語彙を使います。

 

ですから語彙は身につけて損がない、寧ろ有効なものであると私は思います。

 

結局私から言いたい事は、語彙を無下に扱わないで欲しいことです。

 

 

 

ただ難しいことをぺちゃくちゃ喋られても困るって場合も当然考えられます。今までの語彙は互いに認識している上でのお話です。

 

たとえどんなにあらゆる言葉を駆使しようとも、結局聞く人が認識していない言葉であった場合、意味を成しません。これは英語しか知らない人に日本語で話すのと一緒で意味がありません。結局言葉選びが肝心になってきます。

 

語彙はそういうところがあるので一筋縄ではいきませんが、まあそういうところも面白さではあるかと思います。とりあえずこの話はまた思いついたら記事にしようかと思います。

 

初投稿です。

こ ん に ち は

 

μy44kiです。とりあえずブログを開設しました。

 

開設した理由はTwitterの投票の結果でブログを作ろうという項目に票が入ったので、とりあえずつくってみようっていうのと、あとちょっと興味あったからですね。

 

人間何事もきっかけがないと動きませんから、そう考えますとこれはいい機会なのでは?という感じです。

 

ブログっぽいことを書くと、あなたもどうでしょうか?という感じでしょうか(笑)

 

とはいえ、文章を書くセンスが無いので、果たしてこのブログを見て、面白い!楽しい!、と思えるようなブログを書けていけるのか心配です。またその都度私にご指導ご鞭撻のほどを閲覧者様方に委ねたいと思う所存であります。

 

とりあえず今日はこの辺で締めたいと思います。また面白いことがあれば、投稿しますので、何卒お願いしますね。